〜合掌聞法〜仏法僧の三宝を敬う形が合掌であり、自分自身を大切にするとともに、他人を敬い、その教えを聞くところに尊い意義があることを見いだすようにしよう。

 生命とは、「生きて活動する根源の力で、生命を生物として存在させるもの。またその長さ。寿命」、尊重とは、「尊いものとして重んずること」、と国語辞典にはありました。
 生命尊重にはさまざまな意味が含まれています。
 先祖があって、両親がいて、さまざまな縁があってこそ誕生することができた生命。この生命は、どのような人間であっても、「自分のも、他者のも)等しく大切ないのちであり、全ての人の生命は、自分と同じように大切に育まれ成長してきたいのちです。そうであればこそ、他者のいのちも自分自身のいのちと同じように尊く、自分以外の人間に思いやりのこころを持たなければいけないのです。
 そして、どのような人間も一生涯エネルギーを得ずに生き続けることはできません。肉や魚という他の生き物のいのちを食べ、ベジタリアンでさえ植物のいのちを食べなければ生きてはいけません。
 私達の周りはいのちに満ち溢れています。一見生命がないように思える紙一枚であっても、元はいのちある植物ですから、そこにいのちを見い出すことができるのでしょう。私達は他者のいのちがなければ生きてはいけませんし、他者のいのちに支えられて生かされているのです。
 欲ゆえに多くを求め過ぎてしまうのは人間しかいません。だからこそ、人間のこころの一番奥深くに「生命尊重」がなくてはならないのではないでしょうか?いのちを尊いものとして考えられるのもまた、人間しかいないのですから。

 先月あたりから、植物の種まきなどを始めた園も多いと思います。子ども達は種の発芽から始まり、その成長に目を輝かせ、喜んで世話をしては毎日プランターや苗床をのぞき込んでいるのではないでしょうか? 今月は、その植物のいのちの芽生えをきっかけに、更に発展させて他者のいのちへの思いやりを育みましょう。